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昭和46年(1971年)12月22日免許になったアマチュア無線局JH3UWZの歴史を簡易年表風にしてみました。
- 1971年10月26日 電話級アマチュア無線技士取得(EVN第6085号)
- 1971年12月22日 JH3UWZ免許(近A第30650号)
- 1971年12月29日 JH3UWZ免許通知到着第一声を出す(JH3PTBと初QSO)
- 1972年01月16日 KR8KR(沖縄・JA以外と初QSO)当時の沖縄はまだUSAの施政下であった。
- 1972年03月26日 DU1RAM(フィリピンと初国外QSO)
- 1972年09月27日 電信級アマチュア無線技士取得(EWN第334号)
- 1972年11月14日 JH3UWZ指定変更電波形式追加(近督陸第613号)
- 1974年11月08日 JCC100(日本国内の100都市と交信しQSLを得る(CW only))
- 1975年12月15日 WAJA(日本国内の47都道府県と交信しQSLを得る(CW only))
- 1978年01月29日 KCJA ClassⅠ(CWで異バンド異都道府県ごと1点を加算累計100点を得る)
- 1978年06月07日 第二級アマチュア無線技士取得(EACI第128号)
- 1979年07月20日 JH3UWZ固定局100W新設検査合格
- 1979年07月20日 JH3UWZ固定局免許(近A第103510号)
- 1980年04月24日 KCJA ClassⅢ(CWで異バンド異都道府県ごと1点を加算累計200点を得る)
- 1980年06月12日 第一級アマチュア無線技士取得(EAEH第9号)
- 1980年06月18日 よみうりアワード全日本C賞(国内の2,500局と交信しQSLを得る。そのうちうち4バンドWAJA含む)
- 1981年03月19日 ポートピア博覧会アマチュア無線館運用委員として開館式出席(3月26日はオペレーターとして11:29JST~18:3JSTまで5バンド51局とQSO)
- 1983年07月15日 別冊HAMジャーナルにCWトレーナープログラムを発表
- 1985年頃~1991年頃 1アマの資格を取ったものの仕事、結婚、転居等でQRT(約6年間)
- 1986年10月12日 結婚に伴う転居(神戸市東灘区→神戸市垂水区)
- 1987年04月頃 近隣のアマチュア無線クラブに所属。夫婦ではじめてFOXに扮装する(於・明石公園)
- 1991年08月03日~04日 ローカル局とはじめてフィールドデーコンテストに参加(於・津名郡淡路町(現在の淡路市))
- 1992年07月頃 IC-726とATU(AH-3)を購入して1985年以来7年ぶりに復活
- 1992年08月01日~02日 前年と同じ場所でフィールドデーコンテストに参加(於・津名郡淡路町(現在の淡路市))
- 1993年08月07日~08日 3年連続でフィールドデーコンテストに参加(於・津名郡淡路町(現在の淡路市))
- 1994年01月04日 オール兵庫コンテスト 1.9MHz県内局部門 1位 87点×45マルチ=3,915点
- 1994年後半頃 パケット通信、パソコン通信に熱中して一般QSOのアクティビティが急落
- 1995年01月17日 阪神淡路大震災発生(このあと昇職研修、転勤もあり再びQRT(約28年間))
- 1996年04月01日 震災にともなう転居(神戸市垂水区→神戸市垂水区)
- 1996年12月22日 JH3UWZ 5回目の免許更新(開局25周年)この当時はQRT中
- 2001年12月22日 JH3UWZ 6回目の免許更新以降2016年まで免許更新は欠かさずおこなう
- 2021年12月22日 JH3UWZ 10回目の免許更新(開局50周年)
- 2023年03月31日 40数年間勤めた会社を定年退職
- 2023年07月07日 1995年以来28年ぶりに復活を果たす(初QSOはKCJ会員のJS1DEH)
昭和46年8月(夏休み期間中)の養成課程講習会を受講して電話級アマチュア無線技士(現在は第四級アマチュア無線技士)の資格を取りました。講習会場は神戸駅北側にある婦人会館で講師の1人にJA3BJH柳原さん(故人)がいらっしゃいました。講習は無線工学のべ20時間、法規のべ20時間で、たしか午前2時間、午後2時間の10日間(修了試験や予備日等でもう1日~2日ぐらいあったかな)で、夏休みの後半を毎日のように熱心に通ったのが懐かしいです。そして合格後免許の申請をおこない待ちに待った写真の免許証が届きました。
↑ 無線従事者免許証。この頃の免許証は表紙つきの立派なもので郵政大臣の免許になっていました。但し、この免許証だけではアマチュア局を運用することができないので、後述の無線局免許状が届いてはじめて世界で一つの呼出符号が与えられアマチュア無線局を運用することができます。
↑ アマチュア無線局を開設するための申請書類。これ以外に送信機系統図、アンテナ設備、無線局周辺地図等が必要でした。今は申請書類も簡略化され電子申請もできるようになり隔世の感がします。
↑ 待望の免許通知が郵送されてきました。免許日は1971年(昭和46年)12月22日ですが通知が着いたのは12月29日。まさに年末押し詰まった時でした。世界にたったひとつのコールサイン「JH3UWZ」が誕生した瞬間です。
↑ 免許状が来たのは前述の免許通知の2~3ヶ月ぐらい後だったと思います。最初に免許されたのは3.5、7,21、28、50MHz帯のA3j、A3hという寂しいものでした。しかも周波数の単位はヘルツ(Hz)ではなくサイクル(C)です。(因みに1972年7月1日以降、周波数の単位はサイクルからヘルツに変更されました。)手書きでA1、A2、A3と追記されているのは電信級(現在の第三級)の免許を取得したあとのことです。発行人の「近畿電波監理局長」という名称も懐かしいです。
開局時に使っていた無線機。受信機JR-310,送信機TX-310のセパレート型で送信出力10W、3.5MHz帯~50MHz帯のAM(但しA3h)、SSB、CWが使えるオールマイティ機でした。当時の価格で10万円近くもする代物で自分で買えるわけもなく親に買ってもらいましたwww。その後、TS-520,TS-820と買い足しました。TS-820の時は100W固定局の免許を受けるため当時の近畿電波監理局の検査官による落成検査が必要でした。
↑ JH3UWZ 開局時の送受信機310line。今はトランシーバーが主流ですが、この当時は、セパレート型が幅をきかせていました。双璧をなしていたのが八重洲無線の50Blineでした。通っていた中学校で初めて無線クラブ(JH3YDB)を創り当時の技術の先生が50Bline購入(屋上に上げたダイポールアンテナと同軸ケーブル代金も合わせて)と社団局開設費用の予算を取っていただきとても嬉しかった思い出があります。自室にカタログのように並べられた無線機はなかなかカッコよかったです。ただ、今と違い真空管を使っていたのでスイッチを入れてもすぐにも送受信はできませんでした。ダイヤルの照明もレトロです。
↑ この資格も講習会で取得しました。夏休みにJARL関西地方本部(大阪市天王寺区)で電信級移行コースがありそれを受講しました。国鉄東海道線六甲道駅から大阪環状線寺田町まで約1時間ほどかけて通いました。
↑ 時は過ぎて、昭和53年(1978年)4月期の国家試験で第2級アマチュア無線技士の資格を取得、大学生の時だったのでアルバイトをして翌年に100W機のTS-520Sを購入。新たに固定局(今までの局免許は10Wの移動局免許)として新設申請をおこない、晴れて100Wが免許になりました。
↑ TS-520Sの取扱説明書。当時のメーカー製無線機はTRIOと八重洲無線が主流でした。私はTRIOで入門したのでTRIO派でした。
昭和54年(1979年)7月、100W局の新設検査に合格しました。私にとっては懐かしい無線検査簿ですが、最近開設された方はご存じないはずです。平成21年(2009年)6月22日の総務省告示第321号で同年7月1日からアマチュア局の無線検査簿は廃止されました。
↑ 第2級アマチュア無線技士の資格取得から2年後の昭和55年(1980年)4月期の国家試験で第1級アマチュア無線技士の資格を取得しました。2アマは空中線電力の制限がありますが、1アマはその制限もなくなり、日本でアマチュア無線を楽しむのに一切の制限がなくなります。が・・・、そんな設備は持ち合わせていないので今までどおり100Wで楽しみます。この頃、今まで使っていたTS-520Sを売却しTS-820Sを購入しました。
↑ TS-820Sの取扱説明書。この時分が学生で時間もあり全盛期だったのかもしれません。そして就職、結婚と続きアクティビティは下がる一方でした。
その後、2人目の子供が生まれ少し落ち着いてきたのでまたまた無線の虫が騒ぎ出し、1992年7月にIC-726を購入しました。随分コンパクトな箇体になったのとアンテナチューナーを使うことでロングワイヤーでもオールバンドにチューニングできてビックリした思い出があります。当時、団地住まいでしたが20mぐらいのロングワイヤーを張ることができ、しかもベランダの手すりが良好なアースになっていてたのでATUをかまして1.9MHzにもオンエアできました。
↑ IC-726の取扱説明書。TRIO派でしたが、初めてICOMを使いました。ただし、「TRIO」の商号は1986年に「ケンウッド」に変わり、現在も「ケンウッド」ブランドでアマチュア無線機の製造販売をおこなっています。
この頃、PC9801NS/Aを購入し、パソコン通信(有線)とパケット通信(無線)にのめり込みアクティビティが急落しました。そして忌まわしい1995年1月17日の「阪神淡路大震災」が起こり仕事上でも震災対策に相当時間を割かれ殆ど無線もできなくなりました。そして5月に東京に1ヶ月研修、その後昇職して転勤になり、無線する時間はなくなります。1996年3月、現在地に転居しましたが時を同じくして管理職となり、いよいよ無線(というか趣味すらも)をやる余裕が時間的にも精神的にもなくなってしまいました。
2021年12月22日、開局50周年になりましたが、特に何かをするということもなく静かに過ぎていきました。この時点では、アマチュア無線局を再開するということは一切考えにありませんでしたwww
2023年3月31日をもって65歳、晴れて定年退職に相成りました。アマチュア無線局JH3UWZについては、5年ごとの免許更新は欠かさずおこなっていたので免許は失効することなく有効です。無線機も随分コンパクトになっているのと価格も手頃になっているので種々検討の結果5月頃にIC-705を購入しました。A4サイズより小さな無線機で1.9MHz~430MHzオールモードカバーしているのは魅力でした。10W出力なのがちょっと気になりましたが移動運用も視野に入れていたのでこの無線機にしました。そして、アンテナの準備、局免許変更の手続きを始めて2023年7月になんとか再開の運びとなりました。はやりのFT8もPCとUSBで接続できるし、エレキーも内蔵されているのでパドルがあればCWも運用できることにはビックリです。なお、自宅ではベランダにロングワイヤーを展張し(下図参照)アンテナチューナーAH-705をかまして、3.5MH帯から28MHz帯まで主にCWとFT8で運用しています。
↑ アマチュア無線局 JH3UWZ の免許情報。2023年9月24日から一括表示に変わったので1AM(第1級アマチュア無線技士・移動する局)となっています。
↑ ICOM製アマチュア無線機「IC-705」、コンパクトな箇体にかかわらず機能満載。移動運用重視の設計がされています。
↑ 現住居のロングワイヤー展張図です。ベランダから外側に張り出すことができないので上階まで1.5m、また建物との距離もあまり取れていません。10W出力ではかなり苦しいながらCWやFT8では海外とも交信することができます。